サーフィン とは心を浄化する儀式
自分にとってのサーフとは何か?
ただの趣味、スポートは違うスピリチュアルな面を抱えているとは思っていたが、今日一つ答えが出た。
心の浄化である。
波に乗れば乗るほど人は純粋になる
ある人が言っていた言葉で心に残っていた言葉
純粋になるとは、心の汚れや曇りがとれるということであると思う。平日の嫌な事とかも海に入ってスッキリするとかは、わかりやすい例であろう。
その汚れが取れると何が見えてくるか?
それこそが聖典でいうアートマンであったり、魂なのではないか?
ソウルサーファーとは、心ではなく魂で波に乗るという事。汚れきってない心でなす行為。サーファーの中では、デイブラスタビッが該当すると思っている。
だから彼のサーフ を見ると、サーフ に対する純粋な気持ちよさだったり、喜びを感じることが出来る。それは彼が魂で乗っているからであろうか。
サーフィン というものをブランマンや世界に捧げる行為であり儀式。だから神性が宿るし感動すらさせられてしまう。
デュークというサーフィンの父はその喜びを人にシェアした。慈悲と愛の行為であるとしか思えない。だからやはり神の一人なのであろう。
自分なりの答えが一つ見つかった気がする。
今日も最高の日だ。