東日本大震災から気づけば8年。 1日1日感謝をして生きよう
あの地震が転換点となり
人生が変わった人は大勢いると思う。
人によっては関東圏を離れ宮崎、沖縄などの福島から遠い地方へ移住
旦那が弱々しく、頼り甲斐のない人で離婚された人もいる。
第二次世界大戦で広島に投下した原爆並みのきのこ雲を発生させ、政府が民間人の年間での許容被曝量を簡単に数十倍に挙げたのも記憶に新しい。
多分一息ついた今、そのような事があったのも忘れ去られてきているのだろう。
その頃の自分はどうだったんだろう?
と、ふと海に入りながら思い出してみた。
金銭面
給料が入ってくると同時にクレジットカードの引き落としてすっからかん。
にもかからわず、車のローンは組むわ、外食、服、煙草、サーフボード、酒と
自分へのこぼうび
自分への投資
と都合のいい事を言って散財していた。
投資の勉強もしていたが、元手が無く何も行動しないまま終わっていた。
サーフィン
体育会系の朝一で集合集合
若者は朝ボスに波情報連絡
朝飯はコンビニ飯
昼飯はラーメン
昼前までがっつりサーフィン
欲しいブランドのボードも買えない
というしがらみの中行っており
[サーフィンってもっと自由な遊び]
と思い、そのグループを脱退して、自分を貫くことに決めたタイミング。
孤独な時も多くなり、元に戻ろうか?と自問自答し中途半端な日々が多くなっていた。
仕事
日々波のことばかり考え身が入っておらず、
煙草休憩ばかり取りに行っていた。
自分で問題を解決することもせず
受けた指示さえ、まともに行えていなかった。そのくせ、有給消化率高しの、無残業労働という、社畜っぷりを遺憾無く発揮していた。(振り返るとこれもある意味すごいが)
今
多分もうすこしまともな人間になったのであるが、きっかけはこの地震だった。
きのこ雲を見たときに、本当に日本から逃げたしたかったけど、仕事で身についているものが何もなかったし、自信もなかった。
普段のサーフィンですら、自然に生かされているという意識すらなかった。津波がこれば蟻のように潰されるこの命。
持っていると思っていた自分の軸が無かったから、流されて散財をしていた。困れば国や誰かがなんとかしてくれると思っていたから。
今日は海に入っているときにこのような事を思い考えを改めて行動が出来るようになったことに、感謝をしていた。
普段当たり前である事が、当たり前ではない事を教えてくれた地震。
ありがたい = 有難い
娘が元気に育ち、自分も好きなサーフィンを出来ている。さらにその好きな事を嫁が始めてくれ、愛すべき人達と海で、何気ないが、当たり前ではない有難い時間を、感じさせてくれている。
ご冥福をお祈りするとともに、
一度しかない人生をしっかり生きようと改めて思った。