イライラしてしまうのは何故? 花粉のせい?
先日仕事中のとある世間話の中で
「君は資料を作るのが好きだね」
と言われる事があった。
ただの会話であるが、何故か無性にイライラしてしまい
「金(給料)を貰わなければ、こんな物は作らない。
問題を整理したり、他人に伝えたりする為に作っているだけ。
好きであれば、休日であろうと、ただ働きだろうと、勝手にやりますよ」
とちょっとキレ気味で話をしてしまった。
話し相手が元々反りが合わない人間だったので
それでイライラしていたのかな?っとその時は思ったのであるが
どうも引っかかりがあり
「金持ち父さん、貧乏父さん」を読んでいるうちに理由が分かった。
サラリーマンをしているのは、あくまで金の為であり、好きで行なっている訳ではない。(本当に好きであれば、公私の区別だとかの境界はもうけない)
今の企業を選択したのは、
そこそこの大学を卒業でき、
そこそこの企業にエンジニアという職種で入社する事ができたからである。
続けているのは、終身雇用というものが比較的残っている企業であり、
いわゆる金銭的な「安定」という物が残っているからだ。
最近newsや本を調べ、自分の考えも合わせると
「安定」というものはまやかしであり
「終身雇用」も風向きが変われば簡単に崩壊する居城である。
身を粉にして働けば、その分多額の税金に翻弄され、
「責任」という名の下に労働時間が無尽蔵に増加するだけであろう。
そして、多くの老人の医療費・介護費用を支払う為に税金がこっそり増加しており
働けど働けど楽にならないのだ。
先日のニュースで、
年収700万の給料をもらっている人の手取りが、15年前と比べ50万減っている
というのが報道されていた。
さらに追い討ちをかけるような消費税増税。
そして今の若い世代が年老いた時は
「自己責任」で老後の為の資産を増やして下さいね。っといった名目の虎の子の退職金を使った確定拠出型年金。投資の素人であるサラリーマンが嫌が応にも、投資の世界に巻き込まれてしまうのだ。
完全に舐めてるよね??
といった事が分かりながら、
現状を甘んじている自分に対するもどかしい気持ちが
冒頭の会話の中でイライラとして出てしまっていた。
自分が些細な事でイライラを感じた時に、それを掘り下げて見る事がすごく大切。
社会で生きる為には自分の本心を殺して生きる必要があり
それを繰り返していくうちに、シンプルなはずの自分の心が聞こえなくなってしまう。
最近は花粉も多いから呼吸=息=自分の心 も乱されやすい。
桜が人を狂わせる というが言葉が原因の一つかもしれないですね。