その考え方自分の中から出たものですか?
人生を過ごす中で,幸福度を上げるにはどうするのかを考えてみた。
一番納得してまっとうできるのが、
[自分で選択して自分で継続すること]
自分で選択するという事は、自分の思考や性格から好きな物を選ぶという事。
人から与えられた物でもないという事が一番のポイントだろう。
言い換えれば、大金持ちになろうが、明日地球が滅亡するだろうが、明日が自分の寿命だろうが、
今日続けたくて、やりたくてやっていること、そういうことを継続出来ることが幸せな事の一つだと思う。
今自分が継続できているものが
・サラリーマン 10~15年くらい
・サーフィン 10~15年くらい
・家族 3年くらい?
・FX(投資) 1年くらい
の4つである。
家族はお互いの協力が必要であり、投資も短いものであるが
自分で選択して継続しているものとして入れている。
ただこの中でサラリーマンというものに関しては
結構怖いと思う事が、自分も含め雇われで働いてる人とかは、自分で選択して行動をしているつもりでも、それが人から与えられた物だった事に気付かない事だったりすると思う。
特にサラリーマンをしばらくやっていると、いつのまにか洗脳をされているという事。
当然会社も愛社精神を強くさせたり、仲間意識を持たせたり、成功体験、挫折、家族意識とかをさりげなく、刷り込んでくるし、周りの同僚も気づいたら、先輩、上司はそういうのがガッツリインストールされた状態なので、疑問に思っても同調圧力の力もあり気づいたらそれが常識だと思ってしまう。
このような人は老後が寂しくなる人の典型的なパターンであるとは思う。何故なら自分で選択してきたつもりでも、与えられた事に慣れきってしまっているから、その歳から与えられなくなったら何したらいいか分からないから。
という自分も気づいたら流されそうにはなる。平日の大半を過ごしている職場の中で、流れに惑わされずに自分の意志を持つというのは中々難しいものである。
類は友を呼ぶ
という言葉がある通り
そこに集まって一緒に仕事をしている人達は
今の時点で 既に類である から
そこをわかっていて何故働くのか?
それは
[自分が既に安定した給料の奴隷となっている]
から。
ここに気づくと自分の本質的に自由に慣れないポイントは、給料=金 についてとなってしまい、金を稼ぐ事の責任を既に会社に丸投げしてしまっていた事に気づく。
上で述べたように、明日死ぬんだったら(来週でも、来年でも)多分今の仕事をすることはないだろう。
その事が分かっていて、選択してサラリーマンをして、初めて自分で選択していると言える。
逆にそこまで分かっているならやめたら?ともなりそうであるが
「安定した給料=金の奴隷」となっているのも自覚している。
だからこそのFX(投資)の勉強であろうか。
ここの稼ぎ方は人それぞれであり、
ここであまり興味がない分野や夢がない分野を選んでもダメなのであろう。
自分は夢があり、やりたい事があるからここを継続して続けれる。
続ければ続けるほど面白い部分も出てきたりしている。
このように考えられると、サラリーマンの同調圧力の中でも自分の意思が持てるようになる。
もちろん給料を貰っている部分の貢献は必要であるとは思うが
残業や出世で人のモチベーションをコントロールするのが会社であるので
その部分の筋を通すことは、大事だと思う
(ここはあくまで自分の価値観であるが)