chi-and-miのブログ

感じたこと、疑問に思った事を日々更新していきます。

辞める事を視野に入れると選択するという意識がうまれる

なんの話かというと脱サラというか、現在の仕事を脱却しようと思ったときにこの発想が産まれてきた。

自分の場合は生活できる担保を確保しつつ

好きな土地海の近くの土地に移住したいという気持ちである。

 


海の近くに住むことができれば

自分達自身の暮らしが更にシンプルになるし

無駄な交通費や移動時間が短縮できるし

何より自分の気が向いたときにサクッとsurfingができる

多少今の稼ぎより減ったとしても、

外で無駄に使う部分も減るので、合っていると思っているから移住をしたいと思っている

 


ただ田舎暮らしで、

仕事に困ったりとか、金に困ったりする時に工面するのが難しくなるし不安であるから

(実際住んでみてから分かる部分もあると思うし、完全なる片道切符にはしたくない思いもあるし

 更に好きな土地があればそこにも住んでみたいと思うから)

投資・投機を飯の種としようと思い、コツコツやっている。

 


早めに脱出できればいうことはないが

「焦り」は力みや欲に変わり、

相場様はその根性でやっている人間からは逆にお金を取っていく。

いかに邪心を捨てて、純粋にチャートと向き合うかが必要であるので

バランスは難しい。

 


このように考えながら、ある時期に辞めようと思いながらやっていると

「仕事に行く」

「今日も仕事を辞める選択はしていない」

という発想になってきた。

 


自分が今日も会社に行く選択をしているのは

「まだ稼ぐ力もないし、そこまでの踏ん切りがつかないからだ」 っと

その考えがズルズルと続きすぎると今度は負け犬の発想になるので駄目であると

自分の考えでは思っているが、

少なくとも

今この仕事をしていて、海から遠いこの場所に住んでいるのは

他ならぬ「自分が選択していること」

 


家族がだとか、お金がだとか、安心だとか、諸々の理由はあるが

「何かのせいではなく自分がそれを選んでいること」

その選んでいる事=自分がしたい事 ではないから

自分が選択する事=自分がしたい事 となるのが凄い大事な事ではないかっとふと感じた。

 


できないのは何故なのか?

それをどうすればmakeできるのか?

 


Styleや方法はそれぞれだけど、

そうゆうことを海といるフィールドだけでなく

人生でも行うのも「ある意味surfing]みたいな気はしている